主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
予想外の出来事などに備えてあらかじめ予定に時間的余裕を作る、その時間のことを「バッファ」なんて言ったりします。
この「バッファ」、あれば当然良いとは思うんですが、そもそもその時間を捻出することが出来るのかなんてこともあったりして。
僕はタスクシュートに出会う前はこのバッファを準備するタイプでした。念には念を入れるというか、時間に遅れるということに不安を持っていたので。
今はバッファはいらないなと思っています。
なんでこうなったのか?その辺を書いてみたいと思います。
何もしていない時間なんてのは無い
タスクシュートはまず記録から始めます。
自分が今何をやっているのかということを事細かに記録していくと、あることが見えてくるんです。
それは「何もしていない時間は無い」ということ。
寝ている時間は「寝ている」し、ぼーっとしている時間は「ぼーっとしている」んです。
もちろん、行動の記録しているとなぜかいつの間にか時間が経過していて「あれ?今の時間何やってたんだろ?」となってしまう時もあります。
でも、タスクシュートを実行していると、その時間にさえも名前を付けるんです。それがタスクシュートなので。
そのような記録をもとにしているということは、バッファを作成しようが無いんですね。だってバッファというのは何か予定外のことが起きた時に使う時間なので、作った段階では「何も予定しない空白の時間」であって、記録にはそんなものはあり得ないので。
長めの時間を予定することはある
ただ、こうしてしまうとキツキツのパツパツでそんな予定を現実的ではないんです。それは僕もさすがにわかってます。
なので、例えばランチの時間帯に余裕を持たせるようにしたりはしてます。
実際にご飯を食べる時間は20分もかからないですが、あえて45分くらいの時間を見積もるようにしていて。
そこで調整というかバッファ的な役割を持たせるわけです。
何か早急に対応しないといけないようなことが発生した場合にはそこを短くすれば良いように。
もちろんそういうことが起きない場合は、ゆっくりご飯を食べるなり昼食後の休憩として時間を過ごすなりしています。
ランチって1日食べなくても死にはしないですよね、極端な言い方ですけど。
だからそういう絶対にやらないといけないわけじゃないけど、やっておいた方が肉体的にも精神衛生上も良いよね、みたいな時間をちょっと長めに取るということです。
ぽぽ、考えた
結局バッファと同じじゃね?と思われるかもしれませんが、僕はバッファというのは「あらかじめ何もしない時間を用意する」ことだと思っていて、それだといざバッファの時間が必要無かった時にどうすれば良いかわからなくなったりするんですよね。
なんていうか、オロオロするというかソワソワするというか。
そうなるとわけわからないことやったりするんですよ。今それやる意味ある?みたいな。
まあそのこと自体も行動として悪いことではないんですが、効率悪くなるためにあえてバッファというものを用意しなくてもいいかなと思ってます。
ということで今回はこの辺で!