幼稚園バスの運転手になりたくて応募したけど落ちました。

主夫のぽぽ(@carp0p0)です。

突然どうした?と思われますよね。

タイトルの通りです。

まあまあそう慌てないで。ゆっくりと経緯を説明していくことにしますので。

なぜ幼稚園バスの運転手なのか

僕ね、ずっとやってみたかったんですよ。

これがまず一番。というよりこれしか理由なんて無いのかも。

昔からなんとなく頭にはあって、運転も好きだし、長時間運転することも苦ではないし、何よりも子どもたちと関われるし、いいんじゃね?って思ってたんです。

もちろんこれだけで務まるようなものではないんでしょうけど。

新潟の時にお世話になった幼稚園のことはこれまでも何度か書いてきましたが、

そこの影響もあったのかなー。その辺の僕の心の移り変わりは覚えていませんが。

でも、まあそんなのは定年後?まあ僕は個人事業主やってる以上、定年なんてありませんが、「余生を過ごす」くらいの時になってやりたいなーやれるかなーという感じでした。

あ、ちなみに毎日やるわけではなく、他の仕事もあるので、それと折り合いをつけられそうな場所を選び、応募しました。

なぜ今やりたいと思ったのか

じゃあなぜこのタイミングでやるのか…

僕ね、普段はまあ適当な感じで目指すは高田純次さんなんですけど、これでも真面目に人生を考えることもあって。

死というものを意識することもあるわけですよ。

このブログでも書いたことがあるかもしれませんが、まず弟を事故で亡くした時に強く意識しました。

本当に突然でした。

もうこの9月に七回忌を迎えますが、いまだに信じられないような感じもしますし。

同時にいつ死ぬかなんてわからないんだよなぁと強く思わされて。

んで、今回の豪雨災害。

あんなの誰にもどうしようもないでしょ?

僕は弟を亡くしたすぐ後にこんな言葉に出会いました。

我々が生きる今日という日は、亡くなられた方々が夢見ていた明日である

ジョン・キムさんという方の本に書かれていたんです。

そういうことなんだよなと。

不幸にして亡くなった方は当然明日も来るものだって思っていた人がほとんどでしょうし、僕らみたいに幸いにして何事もなく生きている人は、そういう人たちが見られなかった景色を見てるんだよなと。

よく言いますよね、一度きりの人生だからって。

もちろん、自分のことだけじゃなくて、自分に関係してくれる人とのバランスも考えないといけないです。

何でもかんでも行き当たりばったりみたいなのも良くないと思います。

でも生きてるうちにやりたいことはやらないと損だなとは思ったりもするわけです。

あともう一つ、これは全く違う観点なんですが、僕らが余生を過ごすみたいな年代になった頃には、バスの運転手、無くなってるかも…とも思ったので。

子どもたちは減る一方、自動運転も実用化になったら間違いなく送迎の仕事なんて無くなるでしょ?

そうなった時に、やりたかったのになぁなんて考えてもどうしようもないですよね、だってそんな役割自体が無いんですから。笑

ぽぽ、考えた

面接時、僕の年齢を聞いてものすごく驚かれました。

僕も以前考えていたように、定年退職された方がやるような仕事だと思われていて、なんで?という疑問がまず最初に浮かんだと。

まあそりゃそうです。

でもね、今やりたいから今やる!ただ、それだけでした。

面接でもそういう風に伝えました。

まあ結果はタイトルの通りです。落ちました。

その幼稚園が新潟で我が子を通わせていた幼稚園にあまりにも似てて、いい感じだなと思ってたんですけどね。笑

まとめにくい感じなので唐突に終わります。笑

ということで今回はこの辺で!

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ぽぽ(片元 彰)

ぽぽ(片元 彰)

兼業主夫です。
NPO法人 ファザーリング・ジャパン中国代表。
時短家事コーディネーター。家事シェアコンサルタント。
夫婦関係を良くするコンサルティングも行っています。
タスク管理の最強ツール、タスクシュート時間術を実践中。
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