主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
突然ですが、昨日のたすくまの画面です。
若干寝坊しました。日曜日で子どもたちも学校が無いから、朝ご飯ものんびりでいいし、みたいなことで気が緩んでいたんでしょう。
だから終了予定もギリギリ日を跨がないくらい。もうちょい早く寝たい…。
ただ寝坊してしまったものはしょうがないです。そういう日もあります。
本来であれば、ここには「洗濯物を干す」とか「風呂掃除する」なんてものが入ってくるわけなんですが、この日はこの後にPTAの用事があったためにそれをする時間はありませんでした。
ですので、やったことの記録であるこの画面からは消えています。
要するに、先の締め切り時間を見ながらこの時間帯にやることを諦めて先延ばししたわけです。
ここで僕は今だに思うことがあります。
それはどこかに隙間時間があるんじゃないのか?ということ。
その隙間時間を使えば、やろうとしていたことを全てこなしながら、ちゃんとPTAの用事の時間に間に合うんじゃないのか?と。
でもね、無理です。
なぜかって?そりゃ当然、寝坊したからです。寝坊したということはその日の一日の行動を開始する時間が後ろ倒しになっているということです。
こんな当たり前のことを何故考えれないんだろ?と思われますよね。
でもね、僕の場合はこの「たすくま」の画面を見て、ちゃんと認識しないと本当の意味ではわからないんです。
開始時間か遅くなっている分、そのままやっていたら締め切り時間には間に合わないというのは頭ではわかっているつもりです。
頭ではわかっているつもりなんだけど、わかっていない感覚というか…どうにか出来るんじゃないのか?という感覚。
アホですよねー。
だから僕はそんな時に「諦めるということを認める」と心の中で呟きます。
なんとかなると思ってもなんともならないということを自分に言い聞かせるんです。
そうしないとどうしたって無理が出てきて良いことは何も無いんです。
約束の時間とかに遅れるということは嫌いなので、やろうと思っていたことを夜に回して、結果として寝る時間が遅くなったり。
そうなると結局次の日にも支障が出たりとか。
時間は流れています。今このブログを書いている瞬間も。当然ですよね。
だから何かをすれば時間はかかる、その経過時間は僕の場合、記録に取っているのである程度は正確な訳で、だから何かの行動をいわゆる”巻き”でやったとしてもクオリティが下がってしまったりするというのもわかっていて。
寝坊したとか、アクシデントが起こったとか、いろんなことがあるわけだけれども、「諦めることを認める」ということも僕は大事だと最近思うわけです。
ぽぽ、考えた
だからと言って寝坊したことを肯定するわけではなく、寝坊したのは前日の夜、寝るのが遅かったという事実があったり、前日は動きすぎて疲れていたり、といろんな理由があるはずで。
それはやはり記録に残しておかないとわからないわけで、もちろん「諦めることを認める」の前に、最大限、手を尽くしておくことは大切です。
だからやっぱり記録は大事なわけです。
ということで今回はこの辺で!