主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
タイトルの通りです。ちょっと考えてみました。
タスクシュートは「時間がない」を気づかせてくれた
僕は最強の時間管理術である「タスクシュート時間術(以下、タスクシュート)」を実践しています。
「タスクシュート」に触れ、実践してみると、時間に対する見方が変わります。もちろんその変化の大小はあると思いますが、効果を全く実感しないという人はほとんどいないと思います。
「タスクシュート」は自分が抱いていた時間に対する妄想のようなものをキッパリと否定してくれます。
簡単な例で表すと、「いつかやりたいこと」なんてのをリストアップしたとしてもそんなものをやる時間はどこにもないという事実に気づかせてくれます。
タスクシュート実践前は僕はやりたいことばかりを膨らませて、それが出来ないことに対して自己嫌悪に陥ったりしてましたが、「時間がない」という事実に気づかされると、それは当然のことなんだと思えるようになります。
「時間がない」ということを頭で理解するのではなく見えるようにしてくれるのがタスクシュートです。
僕たちには「時間はない」んです。
実は「時間がない」なんて事実は無い
最近、毎朝の筋トレ中に聴いているポッドキャストがあります。
佐々木正悟さん(@nokiba)さんが配信されている、「のきばキャスト」。
ここでも度々言われていることなんですが、時間というのは死なない限り無くなりません。
誰にだって生きている限り、未来にはたくさんの時間があります。
でも「時間がない」と多くの人が言いますし、僕も言うことがあります。
「時間がない」というのは比喩表現です。
ある締め切りが迫っていることに対してそのような言葉で表しているだけ。
だから「時間がない」なんて事実は無いんです。
ぽぽ、考えた
相反するような文章を並べてみました。
結局「時間がない」という事実はあるのか無いのか?
ここからは僕なりの解釈です。
「時間がない」という事実を知ることはとても大事ですし、それがタスクシュートによって見えてきたもの、炙り出てきたものであればそれは現実です。
でも「時間がないから何もできない」と考える、これは「意味づけ」になってしまうのかなと思います。
「意味づけ」というのは倉園佳三さんの著書、グッドバイブス ご機嫌な仕事に出てくる言葉で、「本当はそうではないかもしれないのにそうだと勝手に捉えてしまうこと」とでも言えばいいでしょうか。詳しくは本を読みましょう。
「「時間がない」という事実はある(ただ、もしかするとこれさえも意味づけなのかもしれないけど)、でも何もできないかどうかはわからない、だってそれは単なる「意味づけ」であって、本当のことは僕はわかっていないのだから」
こんな風に最近は考えるようにしています。
「時間はない」けど「時間はある」
考えていると面白いです。
全く上手いことまとまっていませんが、今回はこの辺で!