主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
最近こんな話ばっかりしてますね。
もちろん意識的にやってますですよ。はい。
食べ物ネタばっかり書くのに飽きてきたってのもあるんですけどね。
基本的に熱し易く冷め易い、凝り性なくせに飽き性な僕なので。
そんな僕でもやれているのが行動記録。
「たすくま」を使っていちいちやること一個一個に記録を付けてます。
記録を取ることでその瞬間やっていることに血を通わせる。 | 主夫のぽぽさん
トイレ終わったらポチっ。爪切り終わったらポチっ。
んでその記録から当日にやることややらないと行きていけないであろうリストを作り出す。
最近は記録も溜まってきて、僕の朝のトイレ(大雉を撃つ方)はきっちり13分ということが見えてきました。
たすくまに「うんちする」ってどのように書いてますか? | 主夫のぽぽさん
超めんどくさそうでしょ?絶対今これ見てくれてる人の99%がそう思ってますよね?
僕も最初そう思ってました。
でもある時からその考え方が変わったんです。
働く人のMP戦略
noteという文章などを投稿して販売できたりするサービスがあります。
その中で佐々木正悟さんと倉下忠憲さんが二人で書かれている働く人のMP戦略というものを読んでたわけなんです。
もう連載が終了してしまったのですが、無料で読めますので興味がある方は是非。
その中で出てきたんですよね。
リストというのはどうして「自分が書いたものではないような気」がしてしまうのか。
リストに従って生きると言っても、それは自分が書いたリストなのであって、囚人には自分の書いたリストに従って行動するような自由はないはずです。
こんなことは自明にも思えますが、それでも「リストに従うのは息苦しい」と感じられる。「リスト」には「社会によって義務化された項目」が書き出されるものであるという暗黙の了解のようなものがあるからです。
ここでリストというのは簡単に言うと「やることリスト」みたいなものと考えてくれたらいいと思うんですが、要するにそれを作ったのも自分なのになんで不自由に息苦しく感じるの?ってことです。
やらないといけないことはやらないといけない
結局こういうことなんじゃないかと思うんです。
確かにやりたくないことってのはたくさんあって、僕自身もリストには書いてあるけどやりたくないことってたくさん出てきます。
だから嫌だと思わないくらい自動的に、何も意識しないくらいでやれるように…となれば一番良いんですが、僕はまだその域には達していないし、達することができる気もしない。
でもやらないといけないし、やらないと結局困ることになるならできる限り快適にやりたいってことでやってるのが記録を取って、それを行動に反映されるというやり方なんです。
以前はこんなことやれたらなー、やりたいなー、多分やれるよなーっていう思いだけで「やりたいことリスト」を作って、「出来なかった自分、ダメなやつ…」みたいな感じで凹んでました。
もしくはもっとやらないと!ってことで自分を追い込んでました。
結局、僕は未来に対して過大評価しすぎてたんですね。
夢を持つこととか、目標に向かって一生懸命頑張ることは尊いことと教えられてきました。実際そう思ってました。多分そういう人は多いかと。
もちろんそういう考え方もあるけど…現実見るのも大事だよねってことです。
ぽぽ、考えた
ものすごい今更なんですが、この「記録から始める時間術」のことを【タスクシュート】って言います。
これをやり始めてからなかなか良い感じです。
何が?って言われると説明しにくいんですが、なんか良いです。
ちなみに僕自身もそんなんめんどくさくてやってられっかよーって思ってた人です。
いやーやってみないとわからないもんです。
タスクシュートってどんなの?って思った人は以下に紹介する本を読むとよろしいかと。
ということで今回はこの辺で!