主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
今回はもうこれだけです。
先ほど、東京で友達と楽しくランチして別れたその後、妻からLINEが。
一瞬何を言っているのかわかりませんでした。
気持ちを落ち着かせながら、Yahoo!ニュースを確認します。
力が抜けました。
てか、そもそも何を言っているんだろう。言ってることがよく分からない。虚構新聞でも読んでるのだろうか。
でも、どうやら本当らしい。
次の瞬間、目頭が熱くなっている自分がいました。
新橋のコワーキングスペースで、何もせずにただただぼーっとしてしまいました。
仕事せーよ!って感じですね。
ここで断っておきます。河田さんの退団も当然ショックです。
でも、今回は琢朗さんのことしか書きません。てか書けません。
なぜか?僕が琢朗さんの大ファンだからです。
今のカープがあるのは間違いなく琢朗さんのおかげです。
もちろん、いろんな人が関わってカープがここまで強くなったのは間違いないと思います。
でも、でも、そうかもしれないけど、琢朗さんがカープに来てくれて、その時からチームは徐々に変わっていったと僕は思ってます。
石井琢朗さんの思い出
ここからは読んでくれる方にとってどうでもいいことだと思います。
誰かの役に立てばいいなと思って毎日書いてるブログですが、今回は僕の思いの丈をぶちまける場に使わせてもらいたいと思います。
書かないとやってられない。
琢朗さんがどんな選手だったのかとか詳しいことはwikiでも読んでください。
僕の琢朗さんとの思い出は中学生時代に遡ります。
その頃、『実況パワフルプロ野球』という野球ゲームにハマりました。
広島で生まれた僕は当然幼少期からカープファンでした。ですが、ゲームで使うチームは横浜ベイスターズでした。
なぜか?琢朗さんがいたからです。だってめっちゃ打つし、足速いし。
しかも当時内野手だった僕の憧れの選手だったんです。
カープにも野村謙二郎さんという遊撃手がいたにもかかわらず、内野手で好きな選手は石井琢朗さんでした。
だから2009年、カープに来てくれた時は嬉しかったなぁ。
単身赴任をしてまでカープを選んでくれたってのが本当に嬉しかった。
ブログも毎日読んでました。
因みに僕の最も好きな野球選手はずーっと前田智徳さんなので、同じユニフォームを着て絡んでいる様子をブログとかで見ていて勝手にニヤニヤしてました。
『過去にあらがう』は当然のように発売当日に買いました。
気持ち悪いって?
そう思われようと全く構いません。
2012年まで現役としてカープでも活躍してくれました。
引退試合、泣きました。
引退後も内野守備・走塁コーチとしてカープに残ってくれました。
最初は一塁コーチとして、2015年からは三塁ベースコーチとしても。そして2016年からは打撃コーチとしてカープにいろんなものを残してくれました。
当然ですが、僕は琢朗さんと喋ったことがあるわけでもないし、カープの選手じゃないから何か教えてもらったわけでもないです。
でもね、琢朗さんがいたからカープが弱くてもずっと希望を持ち続けていられたんです。
もうね、よくわかりません。
書かないといけないこといっぱいあるのに言葉にならない。
でもなんか書かなきゃやってられないから書きました。
最後に
乱文、駄文で申し訳ないです。
確かにずっと単身赴任だったんですもんね。
これまでずっと広島にいてくれたことを感謝しないといけないんですよね。
でも、でも…ずっといてくれるって勝手に思ってました。わかっているけど…寂しい。寂しすぎる。
また泣けてきた…。
どれだけ言っても言い足りないけど、琢朗さん、本当にありがとうございました。
僕の声なんて届かないってわかってるけど、それでも言いたい。本当にありがとうございました。
もうこれは日本一で送りださないといけないですね。
声援を送ることしかできないけど、必死で応援したいと思います。