主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
本日9月8日は私がこの世に生を受けた日でございまして。
35年前の今日、広島市の中心部にある広島市民病院にて産声をあげたそうでございます。
それはそれはガッツ石松さんにそっくりの子だったそうで、おばあちゃんが母の友達に『ウチの孫、可愛いじゃろ?』と言って回り絶句させたというのは伝説として刻まれています。
まあそんなこんなで今日のお題ですが、タイトルの通りです。
僕、ぽぽこと片元彰は来年4月より広島に移住することに決めました。
あ、片元彰は僕の本名です。
僕の引越し歴 新潟に来るまで
広島で産声をあげた僕は18歳まで広島で過ごします。
その間、引越しは一度だけあったみたいです。
みたいです、というのは僕の記憶には残っていないから。
僕が生まれアパート暮らしだった両親は家を建てました。
そこに18歳まで住んだということですね。
その後、大学進学のため横浜で一人暮らし。4年で卒業できたのでその間。
横浜は本当に楽しかった。
まあ大学生なんてそんなものかもしれませんが、やはり広島とは規模が違うんで、完全にお上りさん状態ではありましたが、楽しく過ごせました。
その後、就職。4ヶ月間の研修期間を終えた後,配属されたのは岡山県。
広島とはお隣さんですが、近くて遠いのが広島と岡山なんですよね。そこに8年間。
この間がもっとも色々あった期間だったと思います。
妻と出会い結婚し、2人の子供たちが生まれたのも岡山に住んでいる時。
そして弟が亡くなったのもこの時でした。
その後、新潟への転勤が決まります。
岡山には8年間。
今のところ、いや、おそらく今後も人生で2番目に長く住んだ場所になると思います。
転勤で初めて新潟の地を踏む
転勤は覚悟していたことでした。
場所はどこになるのかと勝手に考えてはいましたが、新潟は正直予想外でした。
幸い、大学の友人で新潟出身者がいたのでいろいろ聞いてみたり。
そんなこんなでイメージしていたものの、物件や長男の通う幼稚園の下見に来た日が年一回のドカ雪。笑
タクシー運転手の方にも『こんなに降るのは年一回くらいのもんだよ』と言われましたが、やっぱり雪国なんだなぁとしみじみ感じたものでした。
そこからの新潟生活。
体調を崩し、仕事を辞めました。
主夫になりました。
そして今に至っています。
僕は新潟で鬱になりました。
妻には大変な思いををさせました。
職場の方々や関係してくれる全ての人に心配やご迷惑をおかけしました。
今、僕と毎日のようにあっている人じゃなければ、そんなに良い思い出なんてなかったんじゃないかと思うかもしれません。
いいえ、逆です。
新潟のことは本当に大好きです。
街が風景が、当然のように美味しいご飯が。
そして何より出会った人たちが大好きです。
なぜ広島に帰るのか
そんな大好きな新潟を離れるのは辛いし寂しい。
じゃあなぜ今広島に帰る決断をしたのか。
それは『タイミング』と『故郷への思い』です。
現在僕自身は主夫ではありますが、ちょこちょこと在宅で稼がせてもらっています。
そして妻は会社を辞めました。
つまり、お金を稼ぐという面で新潟でないといけないということはないわけです。
しかも、僕はいつかは広島に帰らないといけないってのは決定事項でして。
両親はまだまだ元気ですが、弟が亡くなっているので墓などもありますしね。
そして、子供達は現在小学校2年生と幼稚園の年長さん。
つまり来年、長男はクラス替え、次男は小学校入学というタイミングになります。
ある家族で転勤が決まり、引越しをするということ、今のタイミングが良いということを子供に伝えた時に、『子供にとって良いタイミングなんてものは無い。それは全部親が考えている都合だ。』と言われたなんて話を聞いたことがあります。
まさにそうなんです。そうなんですけど…ね…。
ということで当然子供達にはまだ伝えていません。
時期がきたら…という感じです。
あとはやはり故郷の広島への思いです。
さっき新潟大好きって言うたやんけ!なんて突っ込まないでくださいね。
やはり生まれた場所は特別。
その広島のためにも何か出来ることがあれば一番良いなぁなんて思ってるわけです。
ぽぽ、考えた
今日はこれくらいにしておきます。
このまま書き続けていると、お世話になった人たちへの想いなんかも書いちゃいそうで…。
あ、泣く…。笑
てか、あと半年は新潟にお世話になりますので。
楽しみたいのでここでしんみりしてもしょうがない!
この『主夫のぽぽさん』ではまだまだ新潟の良いところをお伝えしつつ、美味いものを食べつつやっていきたいと思いますので、みなさまよろしくお願いいたします。
35歳になったのでお知らせでした。
あ、移住関係の記事も書けるじゃん!
ということで今回はこの辺で!