主夫のぽぽ(@carp0p0)です。
令和になりましたが引き続き読んでくださっている方、今後ともよろしくお願いします。
一昨日から妻の実家でのんびりさせてもらっています。
普段なら家事をしている時間が丸々空いて好きに使えるという、なんとも素晴らしくありがたい一日を昨日は過ごしたわけですが、明日から現実に戻れるのか?という不安も…いやいや、「いまここ」を大切にしないとですね。
やっつけ仕事は時間切れから
空いた時間で読みたいと思っていた本やブログの記事を読みました。
倉園佳三さん(@zonostyle )のブログ、グッドバイブス ご機嫌な仕事の中で「やっつけ仕事」に関するエントリーが印象深かったです。
「やっつけ仕事」を生み出す最大の要因は「時間切れ」です。そして多くの場合、絶対的に時間が足りないからではなく、着手が遅れることによって、私たちはそのような状況に追い込まれることになります。
ではなぜ、私たちはギリギリのタイミングまで仕事に取りかかろうとしないのでしょうか。理由はズバリ、
「やりはじめたら苦労するに違いない」
「自分の実力が追いついていないかもしれない」
「きっと思いどおりのものにならない」などの「恐れや不安」を抱いてしまうことにあります。
やらなければならない…でもやりたくない、でもとりあえずやろうか…こういうのが「やっつけ仕事」になってしまいます。
このように「やっつけ仕事」になってしまうのは「時間切れ」を意識するから。というより「時間切れ」に対する恐れからということを倉園さんも書かれています。
恐れを手放すには未来のことよりも「いまここ」に目を向けること。
ただ、僕は少し別の角度からも考えてみまして。
そもそも「時間切れ」というのはやろうとしていることを終わらせようとするから起きる事象なのではないかと。
「時間切れ」になるのはどこかで自分が決めた「ここまで!」というある一定の部分まで終わらせようと考えるからです。
終わらせないと考えればそもそも終わりが無いのですから、「時間切れ」になることは無いですよね。
「仕事を終わらせない」という考え方についてはシゴタノ!の大橋悦夫さん(@shigotano)の考え方をこのブログでも書いたことがあります。
参照:「仕事を終わらせる」ことをやめるようにしています – 主夫のぽぽさん
元記事は以下。
「仕事を終わらせない」ことで時間切れ、ひいては「やっつけ仕事」にならないのではないかと。
仕事を自分の分身のように感じるために「記録する」。
もう一つ、「やっつけ仕事」にならないために大切なことが書かれていました。
自分のした仕事を「できれば二度と見たくない」と感じるとしたら、間違いなくあなたと仕事は分離しています。これを繰り返していると、どんな仕事であっても最後には「つまらない」「やりたくない」と感じるようになります。
もし、なんらかの理由で「このままだとやっつけ仕事になる!」と気づいたら、
「どうすれば、この仕事を自分の分身のように感じる出来に仕上げられるか?」
を自問してください。
場合によっては、上司や同僚に期限を延ばしてくれるよう頼む必要があるかもしれません。勇気をもって他の予定をキャンセルすることも選択肢のひとつです。
「できれば二度と見たくない」と感じるには二度見ることができる環境が必要です。
「二度と見たくない」あるいは「もう一度見たい」と思うことすら、その見られるものがなければ見ることも見ないことも出来ないわけです。
見るか見ないか、そこにある見るものは記録です。
つまり記録しなければそもそも「やっつけ仕事」になっているのか、それに値するのかどうかもわからないわけで。
僕はタスクシュート時間術に則り、やったことを出来る限り記録しているわけですが、その記録は翌日の朝見返します。
現状ではその記録を振り返る時間がものすごく大切だということがわかり始めてきた段階です。
このものすごく大切だとわかり始めてきたというのは、見返す自分の記録が自分自身がやったことであるにも関わらず、自分とは違う人のように感じ始めたことがきっかけにあります。
自分の行動なのに自分自身ではないように感じる…でもその行動は間違いなく自分が起こしたものであるという事実は認識できるので、その自分自身ではないように感じる記録と自分の記録だと思いながら見返している自分を繋げる作業をしているような感覚で前日の記録を振り返っているんです。
なんかものすごくややこしいように感じるかもしれません。
ただ、記録を見返すという作業は倉園さん(@zonostyle )が仰っている、
「どうすれば、この仕事を自分の分身のように感じる出来に仕上げられるか?」
を自分自身で確認する作業なのではないかと感じたのです。
ぽぽ、考えた
今回読んだ倉園さん(@zonostyle )のグッドバイブス ご機嫌な仕事で書かれている記事がすごく心に響いて、何故なんだろう?と考えた末にこういう結論に至ったということです。
この記事を読んでくださった方の中には、こじつけのように感じる方もいるかなと思います。
今、自分でも書きながら読み返してみるとそうなんじゃないのか?と思ってしまいそうです。
でも「やっつけ仕事」ではなく、「ご機嫌な仕事」を実現するために、僕は「仕事を終わらせない」と「記録する」は大事だとも思うんです。
今回はこの辺で!